歪んだまじめさ

最近思うんだけど・・・(またこの書き出しかい!!)皆さん凄く真面目なんだよね。
それも根っからの真面目ってんじゃない。
まじめなふりをしている。
そうやって、世の中が求められているであろう人間像に合わせようと、自分の本質から目を背けているように見受けられる。

それって、自分に対して不誠実な事なんじゃないのかな?
世の中がそういう流れだから、自分も同じことをしなければ・・・という強迫観念で無理をしている。
だから精神的なバランスを崩してしまう。
進学、就職、就業、結婚、子育て、定年、老後・・・様々な言葉でお仕着せのあるべき論を強要されている事に疑問を感じていてもそれを口にすることが許されない。
その枠からはみ出す事を恐れ、周囲から落伍者のように扱われたくないから・・・。

それじゃ、世間一般に言われている「多様性」って一体何なの?
人それぞれというんだったら、どのような人生を送るか、どんな思想を持つかという事だって自由なんじゃないの?
これは、性別や人種だけの問題じゃないんだよね。
どんな思想を持とうが、どんな生活をしていようがそれらをすべて受け入れるというのが多様性なのだから・・・。

ハラスメント(虐待)に対しての問題提起を行う事は正しいことなのかもしれない。
性別や人種や地域的な差別に対しての問題提起だって正しい事。
生活レベルや賃金、待遇に対しての格差を問題にすることも正しい事。
でも、その事を盾にマスメディアやネットを通して逆ハラスメント、逆差別を行う事の危うさには誰も声を上げない。

例えば、喫煙者というだけで平気でハラスメントを行う。
正規社員・臨時社員・派遣社員といって平気で差別する。
感染症対策をしている人とそうでない人の間で衝突が起きる。
それが正しい事とされているから・・・自分は正しい行いをしていて悪いのは自分が正しいと思う事をしない奴であり、そういう人間は社会から抹殺しなければならない。
正しい者が誤った者を粛正して抹殺する事が正義・・・メチャクチャゆがんだまじめさだと思う。
そうやって、価値観の異なる人間を平気で抹殺している人は自分では気づかぬうちにある種の恐怖におびえている。

「自分が枠から外れたら抹殺される!!」

認めたくはないとは思うし、自分はそうじゃない、他とは違う、自分がいつだって正しい方を選択していると思っているだろう。
だって、世間の大多数は自分と同じ意見だし、みんながそうしているから・・・。
世間一般の人たちが正しいと言っている事は正しい・・・って言って日本は大東亜戦争において盲目的・盲信敵な戦い方をして自滅してしまった。
その風潮は今も変わっていない。
むしろ形を変えてより強力で強固になっていると私は思う。

自分で選んだと錯覚させられて、誰かが作り出したレールの上を歩かさせられている人生。
まるで映画「マトリックス」に描かれたAIによって作り出された仮想世界のようなものだよね。
そんな人生つまんないよね。
もっと自分に誠実になった方が楽に生きられるんじゃないかな?
周囲の目や評価なんか気にすることはない。
自分の事を本当に評価できるのは自分自身なんだから・・・。

自分はどこに向かって歩いているのかな?

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